![]() 2013年2月19日の制作時間、25分51秒。マンガ「南の魚」第4巻、第3話のしたがき中。だいたい37ページの途中まで。 きのうはコミティア104の参加費、郵便局で払い込みしてきて、ラスカルの記念切手を買ってきた。そんで、きょうは申込書を投函。それ行けラスカル! シロツメクサの花が咲いたぞ! こないだトツゼン、ジョニ・ミッチェルが聴きたくなって、調べたら、いま、CDがすげー安いでやんのってハナシを書いたけどさ、考えてみたら、もはやジョニ・ミッチェルって古典だな。クラッシック。 なんつーかさ、おれが子供のころに聴いた音楽とかね、そういうのは、もうみんな古典なんだなって思った。夏目漱石とか森鴎外の仲間。ジャンル違うけど。だからみんなあんなにすげー安いんだ。 って、これはアタリマエのこと書いてる?? うん、まあアタリマエのことなのかもしれないけどね。 だからさ、よく聞くハナシで、最近CDが売れないとかさ、音楽ビジネスはたいへんだとかさ、そういうでしょ。でもさ、もしかしたら、最近、いろんなものが一気に古典化したんじゃないかって思ったワケ。そんで、ついこないだのものまで、一切合切古典化したって考えてみたら、なんかとても気分がスッキリしてね。そうかー、古典化したんなら、しょうがないねって感じ。 やっぱりインターネットが普及したあたりから、その前の時代のものが、一気に古典化した。だから、だいたい2000年くらいまでに作られたものは、ランボーに言うならみんな夏目漱石や森鴎外の仲間だ。もうもどれない。これらはきっともう同時代の作品ではないのだ。 同時代の作品ではないっていうのはつまりさ、これは誰かの小説かなんかに出てきた文章をうろ覚えで引用するんだけど、古代ギリシアの芸術家は、生涯を賭けて完璧な作品を作ることを目指せたけど、それは、たくさんの奴隷を使っていた時代だからできた贅沢で、そういうことのできない現代では無理なのだとかなんとか、誰かの小説に、そんな文章が出てきた記憶があるんだけど、どうだったっけか?? マジでうろ覚え。 モーツアルトは子供の頃から天才で、普通の教育をせずに天才教育だけされたから、あれだけの作品を作れたけど、いまの時代は義務教育で、まんべんなくみんなに教育を施すのが基本なので、天才は育たない。っていうようなことを、たしかか誰かがなんかの本で書いてたかな。巌谷國士かな…? 違った? また記憶違いかもしれない。いつもテキトーな作文だな。 まあいいや、だれでも。 だから、つまり、もう20世紀の作品を、同時代の作品として、並べられない時代になっちゃったのかなってことでね。じゃあもうしょうがないじゃん。いまの時代のことをやるしかないよね。っていう開き直りのような気分が湧いてきて、なんかスッキリしたんですよ。 音楽が売れないとか、本が売れないとか、そういうことで悩んでいても、じつはピントが外れててさ、古典と比べてもしょうがないってことで。奴隷をたくさん使ってた古代ギリシアの時代と、忙しい現代人じゃ、作るものが違って当然。ってのと同じで、20世紀のものとは、いまは時代も環境もまったく違うんだから、同じものを求めちゃダメ。20世紀のものは、もう古典なんだきっと。 とかなんとか考えていた。 でもきっと、若いひとたちにとっては、この感じはもはや、アタリマエの感覚なんだろうなあ。 なんかまとまりのない、雑な作文だけど、もうおれハラ減ったから、このまま更新しよーっと。この手の作文は読み返すと直したくなるから、読み返さないで更新するぞう。 |
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