「南の魚3」第3話のペン入れ中
 2012年6月14日の制作時間、71分5秒。マンガ「南の魚」第3巻、第3話のペン入れ中。

 うるまでるびさんの「ピクモ」でアニメを作るって構想、なんかやってみたいって思ってんで、もういっぺん使い方を覚えなおすことにした。ピクモのサイトで、120ページのPDFのマニュアルがあったんで、プリントした。
 でも、こないだも書いたけど、うちのプリンタ、いまトナーが入ってないんだった…。カートリッジを揺さぶって、すこしプリントできるようにはしてあったんだけど、やっぱり途中からトナー不足で、真っ白になっちゃった。
 なおかつ、このマニュアル、以前もプリントしたものだった。部屋のどこかにあるはず。
 なんつーか、120枚のコピー用紙、もったいないことした。計算用紙として使おう…。

 ペン入れしながら、ポッドキャストの「ジブリ汗まみれ」を聴いててさ、鈴木敏夫さんが言ってたんだけどさ、感情移入してみる映画を、昔はジャリモノっていってたそうで、こういう見かた、面白いなあって思った。
 おれはコクリコ坂の映画、まだ観てないんだけど、それのハナシでね。ジブリでは、コクリコ坂は、主人公に感情移入してみる映画ではないものを作ろうってハナシしてたそうで。最近の映画は、感情移入して観る映画ばっかりじゃないですかーっておっしゃってたけど、確かにそうだなあ。
 感情移入できない映画ってので、おれが思い出すのは、まずヨーロッパの映画で、ビスコンティとかフェリーニとかね、ああいうの、主人公に感情移入できない。あそこまで感情移入できなさすぎると、正直いって、おれはちょっとつらくなったゃうことも多いんだけど、そこらへんのできるのとできないのとの、微妙な距離感を考えていくと、表現の幅は、もしかすると、けっこう広がるものかもな。
 なんとなく、最近は、感情移入できるのが大前提で、映画やマンガが作られている感じがしてて、そこんところを、疑ってなかった印象がある。っていうか、おれの問題。最近のおれは、感情移入できるものを作らなくちゃって考えてばかりいた気がする。そこんところに、疑問を持つことをすっかり忘れてた。
 ちょっとハッとしました。

この記事のURL