![]() 2012年6月11日の制作時間、144分25秒。マンガ「南の魚」第3巻、第3話のペン入れ中。 おれは、個性とかオリジナリティとか、そういうもんは、あんまりないタイプのスタンダードな作風で、あんまり個性的な作品に対する憧れなんてのもないタイプなんだけど、最近、やっぱり個性って大事なのかなあって思ったりしてる。 こないだも書いたような気がすんだけど、じぶんの思考とじぶんを切り離して考えたほうが、なにかとやりやすいと思って、いまは、そういう生活をできるだけ心がけているんですよ。それと同じで、個性とか、オリジナリティってのも、じぶんではないのではないかと思ったらさ、それもまた仮面のようにオモチャのひとつとして、持っておくと便利かもしれないってことに気づいたわけ。個性的な作風のマンガ家さんたちがやってらっしゃるのも、まさにそういうことだったんじゃないかって、そう思ったわけです。 でも、こういうことは、コトバにするとわけわかんない感覚だな。説明がむずかしい。 個性とかオリジナリティってのは、じぶんとはなにか、じぶんでないものはなにか、っていうふたつのことがハッキリできなきゃ成り立たないもんじゃんか。でもさ、じぶんとじぶんでないものが、解け合うところに、作品ってのはできるもののような気がするわけ。じぶんと、じぶんでないものの、解け合うところ、つまり、ちょっとありきたりないいかたすると、集合無意識みたいなさ、そういうところにアクセスして作るわけじゃんか。だから、そもそも個性とか、オリジナリティって、意味なくね? って思って、個性、オリジナリティについては、否定派でごさんしたけれどもね。なんか、その考えも、ちょっと違うかなと最近また考えなおしている。 思考界の現象を、現実界に持ってくるときに、変質するなにか、現実界のじぶんから、現実界の他者に伝えられるときに、変質するなにか、そのなにか、よくわかんねえけどそのゴマシオみたいなものとして、個性、オリジナリティが、ないと、旨味がないっつーか、なんつーのかなあ、うん、よくわかんない! 個性なんて必要ない。個性はやっぱり必要。アタマのなかでぐるぐる考えていると、けっきょく堂々巡り。どっちでもいい問題かもしれないけど、とても大切なことのようにも思う。 まあつまり、おれの文章力が足らなくて、うまく説明できないんですけどね。個性とか、オリジナリティって、本来いらないもんだけど、これもひとつの便利な道具として使えそうだって、最近思ったんです。あくまで道具であって、じぶんではないし、自己主張でもない。 |
この記事のURL |