「南の魚3」第3話のペン入れ中
 2012年6月8日の制作時間、84分43秒。マンガ「南の魚」第3巻、第3話のペン入れ中。

 きのうは夏みたいに暑かったんだが、きょうは雨。これで梅雨入りですか。
 どこだかの原発も再稼働するっていうし、自然も人間も思いどおりにゃいかねえもんでやんす。
 マンガをかいてて、つくづく思うけど、ストーリーってのは、作者の思い通りになるもんじゃねえ。あらかじめ考えていたプロットなんかほったらかしで、勝手に進んでいくもので、そう考えると、原発も同じ。始めちゃったもんはしょうがねえ。もはや人間の思い通りになりません。人間ひとりひとりは、善良ないいひとたちでも、大勢集まって社会ってのを作って、みんなでうまいこと回していこうってなると、もうどうにもなんなくなってくる。
 日本人は、とくに善良素朴ないいひとたちだと思いますよ。だからこそ、大きな社会を回していこうとすると、あっちこっちに気を使って、どうしょうもなくなる。
 こないだの震災で、東北のかたがたが、暴動もおこさず、みんなで助け合ってたってことが、世界的にも珍しいことのようで、おおいに話題になりましたが、同時に政府の無能さ、電力会社の隠蔽体質なども、話題になりました。この両極端な性質の、根っこはたぶん同じで、これは日本人のやさしさなんでしょう。身の回りに困ってるひとがいたら、思わず助けちゃう。電力会社のいろんな隠し事がバレそうになって困ってるから、政治家さんたちも、彼らを助けちゃう。身の回りのひとばかり助けちゃうから、身の回りより大きな社会をまかされると、善良なひとってのは、どうしたらいいかわかんない。
 むかしのひとは、そういう日本人のやさしさの落とし穴を充分承知していたわけで、だから、偉い人はときどき切腹なんてのをなさいました。偉いひとだからこそ、みんなの責任を引き受けて、自ら命を断つことで、みんながやってしまった失敗の後ろめたさを浄化してくださったわけです。悪いことしたひとの命を断つ死刑ってのとはまるっきり性質が違います。悪いのは日本人のやさしさなんですから。
 おれは、いままでずっと切腹の意味がわかんなかったんだけど、こないだの震災で、つくづく思いましたよ。日本社会をうまく動かしていく知恵として切腹、うまいこと思いついたもんだなあ。
 そうはいっても、現代社会で、切腹なんてできるもんじゃないし、勿論おれだっておすすめしません。実際そんなことやったって、いまは単なる猟奇的スキャンダルにしかなんないでしょう。
 ということで、現代社会で可能なものとしては、古代のひとが、生け贄の代わりに埴輪を古墳に埋めたなんてハナシがあるように、なにかしら代償的モニュメントでも作るとか、なんかそんな方法になるんでしょうかねえ。
 まあそんなようなことを、震災のあと、たまに考えてみることがあります。まったくもって、どうしたらいいんだろう。途方に暮れてしまいました。

 きょうのおれは、なんかヘンなこと書いてますな。
 原発再稼働ってハナシで、ちょっとパニクりました。
 この文章ボツにするかと思ったけど、まあせっかく書いたので、更新します。あとで、消したくなるような気もいたしますが。

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