「南の魚3」第1話からやりなおし
 2011年12月1日の制作時間、33分24秒。
 マンガ「南の魚」第3巻、第1話からやりなおし。8ページ以降全面手直し中。

 ここんところ、ずっとうまくいかなくて困っていた原因がわかった。8ページ以降、ぜんぶ直すしかないな。
 ストーリーが悪いってんじゃなくてさ。おれ、よくやる悪い癖なんだが、だんだんとコトバが多くなってきて、コトバの推敲ばっかり、毎日まいにち延々続けてしまって、にっちもさっちもいかなくなってた。それでも本人はなぜかノリノリでさ、なかなかそこんところに気がつかないんだよな。どんどんつまんない方向に進んでるのに、「んー、この感じ、斬新だぜっ」っとか思ってんの。
 きのうそのことに、ハッと気がついたわけ。あー、またやっちまってた…って感じで。

 映画でいうなら、コッポラの「地獄の黙示録」。あのクライマックス、延々と30分くらいカーツのおっさんが、わけわかんないことしゃべりまくるじゃんか。あのシーン、苦痛なんだけど、おれ大好きでさ。ああいうの、いいよなー、マンガでもやってみたいよなー、なんて、ついつい思っちゃう。
 でも、映画だから、なんとかなるんだよな。トリュフォーの「思春期」は、おれ、小学生のころに観ただけだから、うろ覚えなんだけど、ラストのほうで、なぜかトリュフォー本人が教壇に立って、子どもたちに向かって人生論を語るシーンがある。あれも、子どものころに観て、妙に記憶に残るシーンだった。なにを語ってたかはすっかり忘れたけど。
 ほかにも、映画には、ストーリーに関係なく、延々となにかを語るだけの印象的なシーンって、たくさんあるよね。おれ、ああいうの、好きなんですよ。
 映画の場合は、観てるひとは、座って観てるだけだから、楽しくても苦痛でも、ずーっと浴びてりゃいいんだけど、マンガの場合は同じようなことやろうとしても、ちょっと難しいのかもな。読むのが面倒なセリフが延々続けば読みとばすのが普通だもんな。しかも今回、ストーリーとはあんまり関係ないんだぜ。

 ま、ときどきそういう感じで、おれは勘違いしたまんま、とんちんかんな方向に突っ走ってしまうことがある。

 ちょっと、気を取り直して、8ページ目からやりなおそう。

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