「南の魚2」書き文字中
 2011年9月19日の制作時間、35分48秒。
 「南の魚」第2巻、第3話の書き文字中。45ページまでやったところ。

 別件イラストかいているので、マンガは少しだけ。

 最近ユーチューブでオタキンさんの「ひとり夜話」とか、ちょこちょこ観ている。あんまりちゃんとは観てないんだけど、かいつまんで気になったところとか。
 んで、そのなかに、吉祥寺のカフェゼノンって店のハナシが出てきて、面白いなーって思った。
 カフェゼノンってのは、ネットで検索したら、何人ものアーチストが、マンガをモチーフに作った作品が飾ってあるというような、マンガに関するカフェで、なんかけっこうオシャレっぽい。
 マンガをモチーフにしつつオシャレっぽいものを作れないかという試みは、なんだかとても80年代的だなあって思った。べつに悪い意味でなく。

 おれが20歳前後だった80年代ってのは、マンガやアニメの黄金期であったにもかかわらず、マンガやアニメが、我々の生活にはまったく存在しないかのようなフリをして暮らしていた時代だったな。
 オシャレな雑誌、オシャレな場所、オシャレなテレビ番組などでは、絶対に、マンガやアニメのハナシをしたり、そういうニオイのするものを持ち込んだりしてはいけなかった。
 しかもバブルの時代で、いろんな有名ブランド商品を追いかけまわって、我々は、みんなオシャレなつもりになっていた。
 だから、マンガやアニメは、徹底的に世間から無視されていたんだな。

 そして、マンガ好きと、マンガ無視の感覚は、奇妙なねじれ現象をおこしていてね、
 「マンガ同人誌なんて、そんな暗いことやめなよ、キモチ悪いよー」っておれにお説教してくれた女の子は、あとで知ったんだけど、おれよりよっぽど真剣に、マンガ同人誌を作っているひとだったりして。
 まあおれはおれで、マンガ好きな奴をみると、「マン研マン研」ってバカにしてたから、ひとのこと言えないんだけど。(当時はまだ、オタクってコトバがなかったので、ネクラとか、マン研とか言ってたな)
 大塚英志がどっかで書いてたことだけど、DCブランドに夢中になって華やかなバブルの世界で遊んでマンガやアニメを嫌ってたひとと、夜中ひっそりとマンガやアニメを楽しんでいた暗いオタクは、じつは同一人物だった。

 これはうろ覚えなので、間違ってるかもしんないけど、「エスクワイヤ日本版」ってオシャレな大人の雑誌があってさ。こういうオシャレ雑誌には、絶対にマンガのハナシなんて出てこなかったんだけど、あるとき、手塚治虫特集だったか、手塚治虫ロングインタビューだったか、なんだかメインに手塚治虫を持ってきた号が出たんだな。
 これ、書店で観てびっくりした。まさか「エスクワイヤ日本版」で、手塚治虫を扱うなんて!!
 しかし、中身を観てガッカリ。手塚治虫本人の写真は、オシャレにレイアウトされて、たくさん掲載されているのにもかかわらず、手塚治虫の作品、絵、単行本の写真などは、一切載ってない。何ページにも渡る特集を組んでおきながら、肝心の手塚の絵を載せないなんて、それはないだろう…。
 当時のオシャレ雑誌は、いわゆる日本の「マンガ絵」を掲載することは、できなかったのだ。
 ま、あのころのおれは、そうとうアタマきたんだけど、いま考えると、あの時代に、「エスクワイヤ日本版」で、日本の重要なクリエーターのひとりとして、手塚治虫の特集をしてみたい、と考えた編集さんがいたってことはすごいこと。作品を載せられなかったのは残念だけど、そういう一歩一歩で前進していくしかなかったのだろう。ホントに難しかったと思う。

 カフェゼノンという喫茶店のサイトを観たりしながら、そんなことを思い出したりしてました。
 なんとかマンガをもっとオシャレなものにできないかと、四苦八苦してはスベリまくってた80年代。あのころ無視されたりバカにされたりしながら、試行錯誤してたマンガ関係者の考えていたことが、こんなふうにカタチになってきたのかしらん。
 モチーフとされているマンガも、なんとなく80年代ジャンプ黄金期の雰囲気を継承している感じするし。

 ま、そのうち、行ってみよう。

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