「南の魚」第2巻第1話ネーム中
 2011年4月19日の制作時間、103分57秒。
 ネーム4ページの途中まで。

 2巻の第1話には、ちょっと小道具としてテレビが出てくる。
 しかしいま、テレビはアナログからデジタルに移行する時期だ。
 はて、ここでテレビをどうあつかうべきか、ちょっと悩んでしまった。
 アナログからデジタル、ブラウン管から液晶、その他テレビとひとびとの生活のつながりかたが、大きく変わってきている時代だもんな。これをマンガでどうあつかったらいいのかなあ。

 テレビの登場しないストーリーに改変しようかとも思ったんだけど、んー…。

 おれのマンガは、それほど時代とかかわりのないタイプだとは思うんだけど、でも、テレビと我々の生活は、なんなのかなあっていうのは、こうやってマンガに登場させてしまうと、考えざるをえない。こういうことに正解はないし、わからないならわからないなりに前進するしかないんだけど。
 こないだ新聞で読んだ赤木かん子さんのエッセイかなんかで、いまの子どもたちにとっては、ケータイの出てこない本はもはや古典だよってなこと書いてあったっけな。そういうもんなんだろう。
 いまおれがかいているマンガは、とくに子ども向けっていうつもりはないけれど、このマンガを読まれるひとは、「いま」以降のひとたちなんだろう。タイムマシンでもないかぎり、30年まえのひとに読まれることはないわけだもんな。現代以降のひとたちに向けたものだ。それは3.11の震災以降のひとたちでもあるし、地デジテレビの時代のひとたちでもある。たぶん印刷されるころには、東北地方を除いて、アナログ電波は終わっちゃってるのかな。
 ま、そんな時代に、モチーフとしてテレビが出てきてしまうマンガを思いついてしまったわけだ。はっはっは。

 こまけえこたあいいんだよ。

 マンガのモチーフは、ステレオタイプがよくってさ、電話なんかも、昔の黒電話みたいなのが、カタチがわかりやすくってよいと思うんだよ。それがいまじゃあファックスがついたり、留守電がついたり、いろんなカタチの電話機ができてきてさ、なんだかマンガの記号的モチーフとしては扱いにくくなった。
 ケータイなんかもそう。最近の流行のスマートフォンなんて、マンガの記号的モチーフとしては、どうあつかったもんだかよくわかんねえな。四角いだけだから、かくのは簡単かもしんないけどさ、電話なんだか音楽聴くやつなんだか、本読むやつなんだか、見た目だけじゃわかんねえ。っていうか、1台でそれ全部できちゃったりなんかして。げっ。
 そういうこといろいろひっくるめた現代の風景ってのは、どういうふうにあつかったもんだか、よくわかんないです。

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