![]() 2011年2月25日の制作時間、121分36秒。 ペン入れ17ページの途中まで。 全体のストーリー、2巻で出てくるキャラクター考え中。 えーと…、余談ではありますが、「最後にちょっと壊す」ってことをよく考えます。 いわゆる芸術家のひとのハナシを読んだり、テレビで観たりすると、一生懸命作った作品を最後にちょっと壊すことで完成させるってことを言うひとが多い。おれもおれなりに、この最後にちょっと壊すことが大切なんじゃないかとよく思うわけなんです。 いま思い出せるところでは、岡本太郎さんや横尾忠則さんのエッセイに、そういうことが書いてあったような記憶がある。 なんでがんばって作ったものを最後にちょっと壊さなくてはならないのか、ハッキリした理由はよくわかんない。 でも、わかんないなりに思うところでは、一生懸命作っていると、どんどん作品が閉じていってしまうような感じがある。内側に籠っていってしまう感じ。これを最後にちょっと壊すことで、パッと開くような気がする。 タマゴみたい。 つまり、タマゴからヒナが孵るとき、内側からヒナがタマゴを割って出てこようとするけど、同時に、タマゴを産んだ親鳥も、外側からちょっと割ってあげるっていうじゃんな。ナントナクそんな感じ。 親鳥の仕事としては、作ったタマゴを最後にちょっと壊してあげることで完成する…。 っていうようなイメージ。 パソコンで作品を作るっていうことをしていると、その、壊すことに意識的にならないと、すごい硬いタマゴができてしまう感じがある。アナログの作品よりも、閉じてしまう。だから、わざと壊す。 ほかのひとのマンガを観てても、デジタルマンガは、わざと壊れた感じにかいているひとの作品に魅力を感じたりすることが多い。うまいだけでは閉じてしまう。 いわゆるオタク系の作品に、閉じた感じのが多いのは、そういう壊すことをしないひとが多いからかなと思ったりもする…。テクニック的にはものすごいのに、なぜか内に籠った作品になってしまいやすいかも。 それが好きなんだよってひともいるわけだから、べつに悪いわけではないんだけど。 これはおれの勝手な説なんだけど、スタジオジブリの映画って、プロの声優さんをあんまり使わないで、あえてアニメのアフレコをあんまりやらない俳優さんたちを使ったりすることが多いのは、いま書いた「最後にちょっと壊す」っていう効果を狙ってるんだと思っている。 アニメファンのひとたちは、ジブリがプロの声優を使わないことに批判的だったりして、毎回そういうことに文句ブーブー言ったりするけど、これはつまり、閉じた作品を開くためにやっている壊し効果なんだと思うんです。 スタジオジブリは、世界一のアニメ職人の集団なので、ほっとくとどんどん作り込んでしまって、うっかりしていると、世界が閉じてしまう。でも、最後に声優さんが壊してくれるから大丈夫だよねって、そう思えれば、安心して作り込みの世界に没頭できるわけだ。 そんで作品も、ちゃんと世界に向けて開いたものが出来上がるので、メデタシメデタシということなんだな。 たぶんそういうことなんだと思うわけです。 ま、そんなわけで…。 |
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