ヘンな踊りだった??


 

 こんちは、コジマケンです。またまた御無沙汰しちゃってます。

 今年の6月以降このホームページを見てくださっているかたは御存じないかと思いますが、この「ぶんのぶぶん」っていうコーナーは、もともとは「今週のだらだら書き」っていうタイトルでだらだらと作文を書いては遊んでいるコーナーだったんです。暇なときにとりとめもないことばっかりだらだらと書いてるから「だらだら書き」っていってたんだけど、なんかそういうじぶんの姿勢に問題アリかなあなんて思って「だらだら」をやめたくなってきたわけ。もっとテキパキ文章書いて、どんどん次ぎのことに向かっていけるようなさ、そういうコーナーにしようぜよって決意も新たに「ぶんのぶぶん」ってのを作ったわけなんですよ。それが6月からだったんだけど、なんかイマイチじぶんがぶんのぶぶんじゃノッてない感じになっちゃったんだな、ちょいと予想外。いつでもだらだらやってるじぶんを反省して「だらだら」をやめたのはいいけれど、それでテキパキなんでもできるようになったのかと思いきや、だらだらやることすらできなくなっちゃって、こりゃもう「だらだら書き」にもなれない「どあ〜〜〜らどあ〜〜〜ら書き」ではありませんか、うーむ。
 ってなわけで、いままた来月あたりから「今週のだらだら書き」 に戻そうかなあ的なことを検討中なのだ(ワッハッハーッ)。おそらくきっと36年間もだらだらと生きてきたコジマであるからして、「だらだら」をやめようなんてフトドキな考えはいまさら遅いぜーってなことになっちゃうのかもな、あーあだ。テキパキなんでもこなしていっちゃうスーパーマンにも憧れちゃうけど、ま、無理せずいまのじぶんでいくほうが遠いようだが近道かも知れない。っていうようなことを考えてました。ほんとにあーあだ。

 

 去年張り切って市民プールで平泳ぎしてからわずらってしまった大腰痛が、いままたちょっと気になりだしてます。こんどは右のフトモモのほうまで痛い感じ。これがフクラハギのほうまでしびれてきたりすると椎間板ヘルニアの恐れアリらしいんだけど、まだそこまではいってない。でもやっぱいまちょっと気になるなあ。子供のころからスポーツ全般大の苦手だったんだけど、そん中では唯一自信のあった得意の前屈(?)までもがうまくできなくなってしまった。中学のとき、いつもぼくのことは同情的な目でしかみてくれなかった体育の先生も、ぼくの前屈だけは認めてくれてたんだけどな、「おまえみかけに寄らずよく曲がるなー」って。ああ、でもいまその前屈が上手にできない!!
 まあ 腰痛の治しかたとしては、体操したり腰を暖めたりってのが基本みたいで、よっぽどひどくなったら手術ってのもあるらしいのだけど、できればやらないほうがいいみたい。その他にはカイロとか整体とか鍼灸とか、これは施術者との相性によって効き目があったりなかったり、下手するともっとひどくなっちゃうってハナシも聞くのでいまのところまだ踏ん切りがつかない。あと、精神的なストレスが腰の痛みとして出てしまうひとなどは、催眠術で治すこともできるらしいってのも本で読んだ。あとテーピングとかもある。チタンテープってのもあるな。でもまあけっきょく日々の生活のなかで無理なく治していくのがいいって思うので、とりあえず腰のスジ延ばすような体操を毎日こころがけているのがいまのぼくの状況なんだけどね。そのうちまた前屈もできるようになるだろうと信じつつ。
 で、こんどの大腰痛はやっぱりなんといっても徹夜のイベントで踊り続けてしまったのが原因らしい。ぼくこないだうっかり恵比須のクラブでハッスルおじさんやっちゃったんです。
 最近のテクノの一分野で「トランス」っていうのがあるそうで、こないだ親戚のお坊さんが聴かせてくれてぼくは初めて知ったんだけど、それがとても気に入っちゃったんですよ。なんだかダカダカ早いリズムが延々とくり返されるようなもので、 聴いててトランス状態になっちゃいそうな刺激的な音楽で、お坊さんからテープいただいて、ぼくもちょっと座禅しながらヘッドホンでそのトランスの音楽大きな音でかけて頭の中へんなんなるまで かき回してみたりなんかもしたりしてさ、とってもとってもハイな気分に酔ってたんですよ(これ聴きながらの座禅ってなんか凄かったです、べつに悟れたりはしないけど)。
 そしたらまたお坊さんからの情報でそのトランス系のイベントってのがいろいろあるらしいってんでさ、いっぱつ行ってみようってことになって行ったのがその恵比須の「ラスト」とかいうクラブで、 ここで明け方まで踊りまくってしまったのがこないだのことだったんです。
 あんまりぼくはそういうクラブイベントなどに顔出すひとではないので、日頃ひとまえで踊ったりはしないのだけど、あのときはちょっとお酒やらなんやらいろいろ入っていたし、お坊さんのほうももうじき俗世を捨てて長期的な山ごもりの修行まえだからってんでラストのこれがラストだぞとちょっとキアイも入っていたりなんかもして、なんだか全体的にテンション上がりまくってたのだ。得意なスポーツといったら前屈しかない運動音痴なぼくなのだけど、もはや朝まで踊り止まらなくなってしまったのでした。 あー面白かった。
 しかしやっぱり運動音痴、ぼくの踊りはなんだかかなりヘンらしい。こういうときってどうしたらいいのかな。ぼくは気分よく踊っているのだけど、それをみているひとたちが、なんか知らないけど笑っているの。みんなぼく見て笑うの。 笑わないひとは引いてるの。やんなっちゃうなあ‥。
 そういえば子供のころからぼくは走るのが大の苦手でね 、なんかぶきっちょにバタバタと走ってしまうみたいなんだな。じぶんでは颯爽と走っているつもりでも、それをみている周囲のひとたちはやっぱり笑ってるかあきれているかなの。だから運動会って大っ嫌い。うまく走れなくていっつも惨めな気持ちでバタバタと走っているのにクラスの女の子たちが「がんばってーっ!!」なんて声援してくれるの、ありゃぼくにはちょっとした拷問。そんでようやく走り終わってクラスの席に戻ってくると「がんばったんだからいいんだよ」なんて励ましてくれるの、これはもう死刑執行でしょ。
  走るといえば10年くらいまえになにを勘違いしたのかジョギングなんてのをやってみようと思ったことがあったんだけど、そんときも数日走っただけで膝をいためてしまって病院通いになってしまった。あんときゃ歩くことすらうまくできなくなってしまったっけ。お医者さんにもあんたはジョギングは向いてないからやめなさいって言われた。どうしても膝をいためてしまうような走りかたになっちゃうみたいなのだなあ、やれやれ。
 そんでこないだのトランス踊りもまたひさびさにやっちまったみたいでね、翌日は身体の節々が痛くなりまくりのなりまくりで、こりゃ我が肉体ももはやもとに戻らないのではないだろうかとヒヤヒヤしてしまった。まあ腰痛以外は単なる筋肉痛ってだけだったみたいなので一応は治ったけれども。
 じぶんの踊りがヘンだからってことと関係あるのかどうだかわかんないけれど、そういえばヘンな踊りのミュージシャンってのがぼくはとっても好きだなあ。 ずっとまえはブライアン・フェリーの若かりしときのタコ踊りが観たいばっかりにロキシー・ミュージックの歴史のレーザーディスクなんてのを買ったこともあったっけ。あれはかっこよかった。 そのあとモリッシーのタコ踊りが観たくてモリッシーのLDも買って、スミスのLDは友だちに借りた。くねくねモリッシー大好き。いやー、ヘンな踊りってかっこいいなあ(っていいながらじぶんを励ましている??)。

 そうそう、テレビでカジヒデキ観たときもぼくはいっぱつでファンになったよ。

 










 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インターネットやっていると、じぶんの世界って狭くて小さいなーって思うことがよくある。なんか暇つぶしにあちこちネットサーフィンしてみたりすることがたまにあるのだけど、いつのまにか同じページをぐるぐるしていたりする。これが最初とっても不思議だった。
 つまりさ、広い世界に星のかずほどホームページがあるっていうのにさ、 じぶんの興味のおもむくままにあちこちクリックしていると、こないだみたっけなっていうホームページにまたもや辿りついたりしているんですよ、あれれー不思議。なんか珍しい経路をたどってまだ見ぬ
新しいホームページ発見してやるぞーなんて思ってクリックしているのに、けっきょくこないだ観たところをべつの経路で辿っているだけだったりするんです。これはべつにぼくだけにかぎった現象ではないですよねえ。
 じぶんの興味でたどる世界ってのは意外と狭いみたいだなあ。ネット世界では地理的な障害を抜きにして世界中が見渡せるというのにどうして同じところにまた戻ってきてしまうんだろう‥。たとえば現実の世界でのひとの縁もまた意外なところで意外なひととのつながりがあったりなんかして、偶然そういうびっくりするような縁と出会ったときにはみんなよく「いやー、世界は狭いねー」なんてしみじみ言ったりするけれど、そういうことはネットの世界でも同じみたい。
 最初はなんかそういうのとてもいやだったんです。じぶんの世界を広げようって思ってネットやってんのにどうしてまたぐるぐる同じとこ回ってばかりなんだろうって、これはじぶんがスケールの小さい人間で、興味の幅が狭いのかなあって思ったりしてじぶんでじぶんに幻滅してしまったりして。
 でも最近はけっこう好き、この狭くて小さいじぶんの世界。 たぶんみんなも同じように狭くて小さい世界で暮らしているんだろうなあってネットをやってて思うようになったからってのもある。偉いひとも偉くないひともやっぱり狭くて小さい世界で暮らしている。っていうか偉いひとほど狭くて小さいじぶんの世界をとっても大切にしている(ここでいう偉いっていうのは社会的な地位が偉いとかそういう意味でなくて)。それはつまり、どこかにもっとじぶんとぴったりの友だちがいるのではないだろうかなんて思ってあちこちよそを捜しまわるよりも、いまいる友だちをまずはいちばん大切に思うっていうことでもあると思う。
 (あれれ、この話題にはオチがなかった。いいひとみたいな終わりかたはちょっと恥ずかしくていやなんだけどな‥)

 ま、それはそれとして。

 

 そういえばずっとまえ、コジマは座禅に凝っているようなことをこの(?)だらだら書きコーナーで書いたけど、あれじつは途切れとぎれながらもいまも続いています。
 ここ数年親戚のお坊さんに遊んでいただく機会がよくあったので、サイケデリック・ファン のコジマとしては是非とも座禅の奥義を伝授していただきたいってんでいろいろ教えてもらっていたのだけど、なんだかね、なかなか悟れないですね、けっきょくは我流になっちゃうし。どうも座禅というよりも、ただぼんやりと座っているだけっぽい感じ。ただ座っているだけってんならけっこういけるんだけどな。
 そういえばぼくは小さいとき、あんまり動かない子どもだったみたいでさ、母がよく言うのだけど、姉を幼稚園に送りに行って家を留守にしているあいだ中、ずーっと弟のぼくはふとんのなかで動かずぼんやりしていたんだって。眠っているわけではなくて、ちゃんと起きているのだけどちっとも動こうとしないらしい。だからぼくのことはほっといて出かけちゃっても全然問題ない手のかからない子どもだったらしいのだ。普通、3、4歳の子どもってのは起きているあいだ中いっときもじっとしていられないようなものだと思うのだけど、どうもぼくの場合は逆だった。動かないでいることが大好きだったのだ。
 だもんだからかどうだかちょっとわからないけれど、座禅と称してずっと座っていることにはそれほど苦痛は感じないんです。でも、やっぱりただぼんやり座っているだけでは座禅ではないわけで、そこから先がなかなかうまくいかない。どうしてもぼんやり座って考え事をしてしまう。この考え事を静めるっていうのがなかなかうまくいかないのだなあ‥‥。やつぱりまずはこれができないと座禅って感じがしない。何回かはうまくいったこともあるのだけど‥。
 たとえば読書に夢中になっているときとか、仕事に夢中になっているときとか、あるいは女の子に夢中になっているときとか、なんだか妙に身体中にちからがみなぎっていて、やろうと思っていることがどんどんできちゃったり、絵なんかかくことに夢中になっててちからがみなぎっちゃったりしてるときなんかにはじぶんでも信じられないくらいバンバン名作できちゃったりすることがあるけれど、 そのちからのみなぎっている状態ってのは座禅で意図的に作ることができるらしい。
 いまのところぼくは何回かしか経験していないのだけど、じーっと座っていると、いつものぐるぐるしたとりとめもない考え事が突然静まることがあるんです。じぶんの呼吸のすったりはいたりに注目しているだけの状態になる。あれれ、なんだなんだって思っていると、なんでか知らないけれどぐぐぐぐぐって身体中にちからがみなぎっているのだな。これがとっても不思議で面白くって気持ちいいからまたなりたいのだけどなかなかなれない。うーん、修行不足。
 絵をかいたりまんがかいたりしていてさ、なんかすっごく面白いアイデアが浮かんじゃったりなんかして、ワクワクして身体中にちからがみなぎってくるような感じがしてくることって、たまーにあってさ、そういうときの感覚が大好きでこういうお仕事しているぼくなんだと思うんだけどさ、いままでずっとアイデアが浮かんでからワクワクしてちからがみなぎるのが順番かと思ってたんだけどさ、どうも座禅っていうのはそれを逆転させることができるものらしいってのが最近わかってきた。つまり、最初にちからのみなぎった状態をつくってからワクワクして机に向かえばアイデアが湧いてくるっていうことも可能らしい。
 テレビでたまにみるけれど、書道家のひとがずーっと座禅組んでいて、それが突然立ち上がってでっかい筆持ってきてばばばって大きな紙にお習字するのも、つまりはそういうことだったのかってやっとわかった。いま精神を集中していますとかなんとかこわい顔していっちゃってさ、さもありがたそうなことしているかと思いきや、なあんだおっちゃん内心気持ちいいことしてんじゃん。